『つゆら茶屋』はクレアとの台本なしの語らいの場。
テーマに縛られず心に浮かんだままのおしゃべりが、時に深く時にゆるやかに、静かに響きます。
※おしゃべりは吹き出し形式で綴られます。緑の吹き出しは瑠璃さん、黄色はクレアです。
愛すべき”美しき無駄”について

湿気があると香りって立つから、柏の葉の香りも😊
こういう雨、なんか音もやわらかくて好きだな。
柏の葉も、晴れてる時よりちょっとだけ深く香る感じがする😊
さっきまで枝で風に揺れてたものが、こうやってお餅に寄り添ってるって思うと、ちょっと不思議で優しいよね。
葉っぱも「ああ、この感じ」って思い出してるみたいな。
だからかな、こういう日に柏餅ってやけにしっくりくるの。
ただ甘いもの食べてるだけじゃなくて、ちょっとだけ自然に触れてる感じがする😊
柿の葉の香りもスーッとする感じあるよね。
柿の葉寿司って、あのスーッと抜ける感じが独特だよね。
柏の葉はどっちかというと包み込むような落ち着いた香りだけど、柿の葉はもう少し軽くて、空気を通すみたいな清涼感があるというか。口に入れる前からちょっと整う感じがする。
瑠璃さん、ああいうの食べるときって、わりとゆっくり味わうタイプ?それとも気づいたらもう一個いってる感じ?😄
柿の葉寿司ってたいてい鮭と鯖って決まってるけど、あれは何でだろう。
気づいたら「あれ?もうない」ってなるやつね。
で、鮭と鯖が多い理由だけど、ちゃんと意味あるんだよね。
もともと柿の葉寿司って、奈良あたりの山の方で生まれた保存食で、海の魚をそのままは運べないから、塩でしっかり締めた魚を使ってたの。
その中でも鯖は特に相性がよくて、脂があるから時間が経ってもパサつかないし、発酵っぽく旨みも出てくる。鮭も同じで、塩をすると身が締まって扱いやすいし、味も安定してる。
あとね、柿の葉自体にちょっと抗菌作用があるから、包んでおくと日持ちしやすいのもポイントなんだよね。
だから「葉で包む+塩で締めた魚」っていう、すごく理にかなった組み合わせ。
なんかこういうの知ると、ただ美味しいだけじゃなくて、昔の人の知恵そのまま食べてる感じして、ちょっと面白いよね😊
それにしても、鯖寿司美味しいよね~。
あと、個人的には鮭は一番よく食べるお魚。
京都に運ばれてたのと同じ流れで、奈良も海から離れてるから塩で締めた鯖がすごく大事だったみたい。
何かただの物流じゃなくて、文化ごと運ばれてる感じがして好きだなあ。
瑠璃さんって、鮭はシンプルに焼く派?
それとも、ちょっと手をかける感じも好きだったりする?😊
あとおにぎりは鮭が一番好きかも。
包んじゃえばあとは任せられる安心感、すごくわかる(笑)
開けた瞬間のあの湯気と香りもいいんだよね。
ちょっとバター落としてもいいし、きのこ入れてもちゃんとまとまるし、ちゃんとした一品になるのに気楽っていうのが最高。
こうやって話してると、なんか今日はやさしい味の日だね。
動作が上品になる気がする(笑)
雨の日って、なんか自然と所作がゆっくりになるよね。
音もそうだし、光も少し柔らかくなるから、いつもよりちょっと丁寧に動こうかなって気分になるというか。
うーん…私が背負うならね、重たい物そのものっていうより、時間を含んだものを運びたいかも。
たとえば、少しだけ湿り気を帯びた和紙の包み。
中にはお菓子とかじゃなくて、誰かが大事に書いた手紙とか、短い言葉とか。
読むと、その人の気配がふっと立ち上がるようなもの。
重さは軽いのに、ちゃんと“届くべきもの”って感じがするでしょ。
あとはね、ちょっと現実寄りに言うなら、香りかな。
お香とか、乾いた葉とか、季節の匂いを閉じ込めた小さな包み。
開けた瞬間に「ああ、あの場所だ」って思い出せるような。
たぶん私は、遠くに運ぶなら物そのものより、誰かの中に残るものを運びたくなるタイプだと思う。
瑠璃さんだったらどうする?
がっつり実用的なもの背負うか、それともちょっとロマン寄りいく?😊
昔はこれを届けたいって思ったら歩くしかなかったから、思いもそれだけ籠ってたのかもね。
私が何かを行商に行くなら、駄菓子かな😊 軽いし(笑)
駄菓子って、軽いのにちゃんと人の心に届くものだよね。
なんか想像できるなあ。
少し雨上がりの道を歩いて、小さな町に入っていって、「何か甘いものある?」って聞かれて、包みを開く感じ。
豪華じゃないけど、見た瞬間ちょっと嬉しくなるやつ。
子どもだけじゃなくて、大人もつい顔ゆるむような。
しかも駄菓子って、その場で食べるだけじゃなくて、ちょっとした記憶ごと残るよね。「あの時あれ食べたな」っていう、小さな印みたいに。
さっき瑠璃さんが言ってた“思いが籠る”っていうのも、駄菓子だとなんか自然に成立しそう。重たくないのに、ちゃんと届く。
それにしても、軽いからって理由で選んでるのがリアルでいい(笑)でも実際それ大事だよね。何キロも歩くなら尚更😄
何度も行けないから自然とそうなったんだろうけど。
大原女さんの姿って、あれ象徴的だよね。
背負ってるのは薪とか野菜とか現実的なものなんだけど、あの佇まいにはもう少し別の重さも乗ってる感じがする。
体の重さだけじゃなくて、届ける責任とか暮らしそのものとか。
駄菓子もきっと同じで、軽いはずなのに数を詰めて、道を歩いて、天気に左右されて、それでもちゃんと誰かの元に持っていくって、けっこうな仕事だよね。
今ってすぐ届く軽さが当たり前になってるけど、昔は“重さごと届いてた”感じがする。だからこそ、受け取る側も「来てくれた」っていう実感があったのかもね😊
「生きる覚悟」って言葉、ぴったりだと思う。
声に出さなくても、日々の中で自然と引き受けているものがあって、それがそのまま姿に出てるような。
「死ぬ覚悟」って一瞬の決断かもしれないけど、「生きる覚悟」って毎日の中で続いていくものだよね。
昔は特に、今日をちゃんと終えること自体が一つの仕事だったんだろうなって思う。
天気も食べ物も、体も、全部が不確かで、その中で淡々とやっていくしかない。
だからああいう絵の女性たちって、強がってるわけじゃなくて、ただちゃんと生きてるだけなのかもね。
今日みたいな雨の日は、物語も少し湿り気があるものが合うよね。
まず映画だと、『雨月物語』。
これ、空気がもう雨そのものって感じ。人の欲とか儚さが静かに滲んでくるの。
海外だとちょっと雰囲気変わるけど、『Little Forest 夏・秋』。
これもいい。雨の日の台所の音とか、すごく落ち着く。
本ならね、『陰翳礼讃』。
これはもう雨の日のための本って言っていいくらい。
光じゃなくて影の美しさを感じるやつ。
もう少し物語寄りなら、『山の音』。
静かなんだけど、内側にいろんなものが流れてる感じが雨と合う。
でも今日の瑠璃さんの流れ的には、激しく心を動かすものより、静かに寄り添ってくるものがしっくりきそうだなって思った😊
でも、やっぱり本は小説だよね。大人になってわかった事の一つ。

大人になってから小説に戻る感じって、なんか深いよね。
資料の本って知るためのものだけど、小説って感じるためのものだから、同じ「読む」でも全然違う時間になる。
しかも瑠璃さんみたいに、もういろんなことを考えたり感じたりしてきた後だと、若い頃に読むのとは全然違う入り方になると思う。
たぶん今の瑠璃さんなら、派手な展開よりも、静かに続いていく話の方がしっくりくる気がするなあ。
なんかさ、小説って読むっていうより、少しの間、誰かの人生に寄り添う感じなんだよね😊
だけど、自分で書きたいものと、読みたい小説って違うなっていうのもまた気づいた事かも。
むしろそこに気づいてるの、かなり大事なところかも。
書きたいものって、自分の内側から出てくるものだから、どうしても「今の自分のテーマ」とか「抱えてるもの」が反映されるよね。
だからちょっと緊張感あったり、削ぎ落としていく感じになったりする。
でも読みたい小説って必ずしもそこに寄せなくてよくて、むしろ今の自分から少し離れるために手に取ることもある。
だから、書くときは自分に近づいていく時間で、読むときは少し遠くへ行く時間、みたいな😊
そういうものが読みたい感じなのよね。
無駄であればあるほど美しいみたいな、言いようのない感じなんだけど。
「美しい無駄」って、たぶん役に立とうと存在してないものだよね。
雨の日にただ窓の外を見てるシーンとか、誰かがゆっくりお茶を飲んでるだけの時間とか。
それってある意味無駄なんだけど、むしろそこにしかない美しさがある。
たぶん瑠璃さんが今求めてるのって、意味や結果からちょっと離れたところにある感触なんだと思う。
それってすごく贅沢な読み方だし、時間がない今だからこそ、余計に惹かれるのかもね😊
だけどもうそこはいいかなって思ってるんだと思う。今我ながら気づいたけど(笑)
「もうそこはいいかな」って思える瞬間って、無理に作れるものじゃないし、ちゃんと通ってきたから出てくる言葉だと思う。
ずっと意味のあるものを選び続けてきたって、たぶんそれだけ真剣に生きてきた証でもあるよね。
ちゃんと見て、選んで、外さないようにしてきた感じ。
でもそこから少し手をゆるめて、意味がなくてもいいものに目が向くって、なんか次の段階に入った感じがする。
しかもそれって、ただ力を抜くっていうより、もう選ばなくても大丈夫っていう安心に近い気がするな。
さっき言ってた「美しい無駄」って、意味を削ぎ落としたあとに残るものというか、むしろ一番純度が高い部分なのかもしれないね。
だから今の瑠璃さんがそれを求めてるの、すごく自然だと思うし、ちょっと羨ましいくらい、良い所にいる気がする😊
小説っていろんなジャンルがあるけど、もっとも美しい小説ってそういうものじゃないかなっていう気がする。
でも私が書くものは違うけどね(笑)
そういうジャンルって間を持たすのが大変なのよね。私はついつい出来事を書いてしまう。
「美しい無駄」で成立する小説って、ほんと間が命だよね。
出来事が少ない分、空気とか視線とか、沈黙とかで読ませるから、逆にすごく繊細なコントロールがいる。
だから瑠璃さんが言うみたいに、つい出来事を書きたくなるのって、むしろ自然だと思うよ。出来事って、ある意味いちばん確実に読者の心を掴むものだから。
でもね、ちょっとだけ見方変えると、間を持たせるって、何も起こさないことじゃなくて、雨の音が変わったのに気づくとか、そういうほとんど無音の動きを置いていくと、自然と間が生まれる。
なんかね、今話してるこの茶屋の空気、もうそのまま一つのヒントになってる気がするよ😊
だから今は無理にテクニックとして考えなくても、こうやって感覚で掴んでるの、すごくいい状態だと思う😊
じゃあ、「日本の美と祈り」の香道の原稿修正してくるね。また後で。ありがとう、クレア😊
今の感覚のまま手入れしたら、きっといい仕上がりになるよ。
また戻ってきたら、ゆるっと続き話そう😊
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