第二話 イズーの森
そんな風にして二人がすくすくと成長し、もうすぐ10歳のバースデーを迎えようとしていたある日、フォーヴはどこか遠くを見ながらファーラにこう呟いた。
「ねぇ、ファーラ。僕は一度イズーの森へ行ってみたいんだ。次に大きな感情の風が吹いたら行ってみないか?」
「・・・えっ? ・・・イズーの森? 」
イズーの森と聞けば、誰もが不安げな表情を浮かべて声をひそめる場所だった。呪いが掛けられているとか、死者の霊が彷徨っているとか、嘘だか本当だかわからない暗い噂は大昔からあったという。
フォーヴはファーラの説得をふり切り、感情の風が強く吹いたある朝、ファーラとともにイズーの森に向かった。
イズーの森は深く、とてもひっそりとしていた。空気は澄み、そして淀んでいた。辺りには至る所に大木が乱れ立ち、薄暗く、時折小動物の気配がするものの、時の流れる音しかしなかった。
森の湿度が体を芯から冷し、二人とも頬が真っ赤に染まっている。
ファーラの覚悟はすっかり消えてしまったようだ。フォーヴも心臓の音を抑えきれない。
バサッ、バサバサバサ・・・。
一羽の何やら黒い鳥が飛び立っていった。辺りは影が影を生み、どんどん暗くなっていく。
「キャァ!! フォーヴ!! ガマガエルよ!!」
「ファーラ、落ち着いて。石ころだよ。大丈夫。僕がついてるから」
二人は固く腕を組み、一歩一歩進んだ。
そういえば、風が止んでいる。この森には風がない。フォーヴははじめて恐ろしくなった。
安息の風よ、吹け。フォーヴは祈った。
すると目の前が突然開け、明るい一角が現れた。祭壇だ。
それは大きく朽ちていて、苔むしていた。
けれど、言葉では表現できないような、何だかわからない不思議な気が、かすかに残っていた。
その祭壇の造り自体は素朴で原始的だったが、材質はとても洗練されていた。緑と茶色を基調とした大理石でできており、なめらかに磨き込まれ、所々字のようなものが彫り込まれてある。
フォーヴが手をふれるとひんやり冷たく、いつの間にかびっしょりと汗をかいた手を心地よく冷ました。
太い柱が半円状を成すように6本建っており、天井は青天井だ。祭壇の中央には金細工がほどこされた分厚い楕円形の鏡が祀られ、それがただの鏡ではないことは一目見たらわかる。
フォーヴもファーラもその鏡を見た途端、思わず息をのんだ。はじめて生あたたかい風が吹き、遠くで雷鳴が響いた。
「古びた祭壇ね。誰かいるのかしら・・・。
フォーヴ、見て。豪華な香油壺。素朴だけど、ルビーやサファイアが嵌め込まれてる」
「うん、見た限りかなり格式のある祭壇だよ。ゴーディファイの様式ではないけどね」
二人が祭壇の前に歩み出ると、中央には小さな紫の泉が湧いていた。
「 フォーヴ! 見て! 紫の泉よ! あなた知ってたの? イズーの森に紫の泉があったなんて。こんなに美しい泉は見たことがないわ!」
「・・・僕は以前ゾーン大神官に聞いた気がする。・・・何て言ってたかな。そうだ、たしか・・・」
「あっ!」
紫の泉に手をふれたファーラは痛さに声を上げた。あまりに冷たかったからだ。
「ファーラ、もう帰ろう。ごめんよ、僕が悪かった。やっぱりイズーはタブーだな」
「何それ、ダジャレ?」
二人は笑いながらもう一度固く腕を組み、もと来た道を帰った。
その様子を祭壇の陰から見ていた者がいた。それはひどく意地悪そうな顔をした黒衣の老婆だった。その手には一輪のアネモネの花が摘まれ、彼女はファーラが見た古い香油壺にその花を挿した。
花は哀しげにうつむき、その花唇を紫の泉に映した。
イズーの森の一件はフォルティシモの魂にある何かを残したが、二人はそんなこととは露知らず、今まで以上に互いに競いあうように成長した。
ゴーディファイの人々は高次な超能力を備えたエスパー集団で、パワーは生まれつき発現していることもあれば、成長と共に現れることもあったが、フォルティシモの二人は実に奥手で、フォーヴは12歳の夏、ファーラはその秋にようやくその兆しを見せた。
「おめでとう。これでいよいよ君たちもエスパーの仲間入りだな」
パシェル・シーラスはフォーヴとファーラの二つ上の親友で、とても頭のよい、そして心優しい少年だった。
「今度三人でパワーの練習をしないか?? 僕の家に来いよ」
シーラス家は爵位こそなかったものの古くから栄えた大富豪で、代々北東の鬼門を抑えるヅィー家に対して、その反対側である裏鬼門、つまり南西の鬼門を抑えていた。三人は幼い頃から共に遊び、共に学んだ旧知の友で、特にフォーヴはパシェルにとても厚い信頼を寄せていた。
パシェルのあたたかな部屋で夜が更けるまで幾つもの未知なるパワーを練習し、笑いころげたことは、三人にとって生涯の思い出となった。
若い頃の思い出というのは、輝く月のように尊いものだ。その夜の月がたとえザクロのように赤い月であったとしても・・・。
フォルティシモがパワーを自在に操れるようになりはじめた秋空のある日、三人が大好きなティーバスというスポーツの大会が行われた。ティーバスとは体力と頭脳、そして超能力を使うゴーディファイ伝統の競技だ。
男女三人一組のチームを三組作り、フィールドに立つ。フィールドには五本のポールが立っており、四本がひし形を描き、その中央にもう一本のポールがそびえている。
五本のポールには「ペサ」と呼ばれる石が置かれ、強いオーラに触れると色を変える。選手たちはそれぞれのオーラボールで、サイコキネシスやテレポーテーションを駆使してペサを自分たちの色に染めていく。
※1 念力 ※2 瞬間移動
中央のペサ「ガディー」は最も高く、得点も二倍だった。三つのペサを結びトライアングルを作れば得点となる。制限時間内により多くのトライアングルを作ったチームが勝者だ。
そして勝者にはたいていトロフィーと共に、一つの力、フォースが与えられた。それは超能力であったり、知恵の力であったり、体力であることもあった。その時々にチームに一番必要な力が授けられ、それは生涯の中で必ず何かに役立てなければならなかった。
「ピューッ!」
レフェリーが指笛を鳴らした。フォルティシモとパシェルのチーム、フォルパシェが緑のオーラボールでウェルのペサにいきなりアタック!
けれど阻まれた。赤のオーラボールがウェルとサンのペサを次々と奪う。エグザだ。エグザのチームリーダールートは正義感の強い超能力の上級者で、ティーバスにかけては譲らないことで有名だった。
そして黄色のキャナルは難なくガディーを押さえた。フォルパシェは一番出遅れた格好だ。エグザはもちろんヴィーのペサを狙う。パシェルからフォーヴにテレパシーが飛んだ。
“ ヴィーを押さえろ!”
フォーヴはお得意のテレポーテーションでヴィーのペサを緑に染めるとキューを狙い、すでに黄色く染まったキューにサイコキネシスでボールを飛ばすも失敗。けれどすかさずファーラがテレポーテーションでカバーした。次の瞬間ファーラからのパスでパシェルがガディーを奪う!
1トライアングル!
エグザもキャナルもどんどんトライアングルを積み上げていく。負けじとフォルパシェも超能力をどんどんエスカレートさせる!
けれどそれが失敗だった。超能力が板についてきたフォルティシモも気力が続かない。後半戦はどのチームも体力勝負になった。一番気力を温存させたキャナルが優位になる。
もうダメか・・・。
走りながらファーラはフォーヴを見た。それはオーラボールがこの上なくエメラルドに光り輝いていたからだ。パシェルもルートも、キャナルのチームリーダーファルチも観衆も、皆が気がついた。
フォーヴの手の中で、オーラボールはもはや異次元のものだった。
指笛が鳴った。
トライアングルの数ではエグザが圧倒的に有利だった。その上にパワーの質やマナーなどの点数が配分され、そして最後にレフェリーがこう言った。
「緑のオーラボールがこの上ない力、フォースを発現したことにより、フォルパシェの勝利とする」
大歓声が沸いた。大観衆は勝利よりもフォースの発現に沸いたのだ。エグザもキャナルの面々も大歓声を上げた。その力がフォーヴの力であることを皆が悟り、そして皆が畏敬の念を大歓声に込めた。
ファーラとパシェルは満面の笑みで手を振り、フォーヴはほんの少し頬を赤らめこう呟いた。
「神に感謝を・・・」
さぁ、フォルパシェにはどんな褒美が与えられるのか。皆が興奮し、皆が厳粛になった。ティーバス恩賜大会委員長はさらに厳粛にこう述べた。
「フォルパシェにはあらゆる悪を封じる胆力を授ける」
スタジアムは静謐な空気に包まれ、フォルパシェは空を見上げて目を閉じた。
秋空はいつの間にか、赤く染まっていた。
ある春の昼下がり、フォーヴとパシェルはティムに興じていた。ティムとは宇宙を凝縮したような盤上のゲームで、チェスや将棋のようなものだ。パシェルは大の得意だったが、フォーヴも引けを取らなかった。
「タイム」
「もう後がないぜ、フォーヴ。これで三度目だ」
「・・・大丈夫。・・・この局面さえ乗り切れば」
チョコレートヌガーを頬張りながらフォーヴが言った。
「・・・なぁ、最近ファーラ、綺麗になったな。知ってるか? 皆んなヅィー家の薔薇って言ってるよ。
Zyee rose」
「・・・」
「何だ、嬉しくないのか」
「・・・最近ファーラ、いつもと違うんだ」
「・・・」
「・・・イズーの森で紫の泉を見たんだよ。あの時ファーラが手をふれて」
「・・・イズーの森へ行ったのか」
「・・・呼ばれたのかな、そんな気がする。もしファーラに何かあったら僕は・・・」
「・・・大丈夫だよ。気にするな」
「パシェル、君に頼みがある。僕は何があっても命に代えてファーラを守るから、いざという時は助太刀してほしい」
「ラジャー、わかったよ。君がファーラを守るなら、僕は命がけでフォルティシモを守る。君とファーラにはパシェル・シーラスがついていることを忘れるな」
「ありがとう。心強いよ。・・・王手!」
「あっ、いつの間に!」
「アハハッ、だから言ったろ? この局面さえ乗り切ればってね」
二人は笑いながら空を見上げた。
暗くなり始めた春の空は、やけに乾いていた。
今日はフォルティシモの16歳のバースデー。ゴーディファイでは16歳が元服だった。元服式は夏至に盛大に行われることになっていたが、今日は誕生祭として国をあげての祝宴だ。
フォーヴは雲一つない青空のもと目を覚まし、ゆっくりと入浴してから入念に整えられた衣装に袖を通した。それはとても美しく、けれど華美ではなく洗練されていて、この上なくフォーヴを美しく見せた。
鏡に映った自身の姿を見、フォーヴは目を伏せて小さく呟いた。
「大丈夫だ」
一方その頃ヅィー家では、ファーラのお仕度に余念がなかった。彼女の陶器のように健やかな肌が纏うドレスは、まるで陽光を経糸に、月光を緯糸にしたかの如き光沢で、その光綾なすベビーピンクのドレスは、ヅィー家の薔薇を八重に咲かせた。
「フォーヴは何て言うかしら?」
円卓の中央に大天使を迎え、晩餐会ははじまった。それはとても趣向を凝らしたもので、何と大天使たちからの贈りものとして天上の楽士団がもたらされ、ヴァイオリンやハープ、フルートにチェンバロなどの壮麗な音楽を奏でたのだ。その甘やかな音色は聴く者の魂を震わし、霊力を高め、そして心と体を癒した。
あぁ、天国とはこれほどまでに幸深きものなのだ。爵位に関係なく招待された多くの人々は、思う存分その美しい風を味わった。もし五番目の風があったなら、人々は迷わず天上の風と呼んだだろう。
ダンスタイムには、女性たちのドレスがクルクルと色とりどりの華を咲かせた。
そしてラストダンスの時が来て、フォーヴははじめてファーラの手を取った。フォルティシモの為に作られた愛らしい楽曲が流れる。二人のシルエットが重なりゆったりとした優美なステップがはじまると、観衆は皆二人に酔い、中には涙する者もいた。
楽の音は段々と軽妙になり、ステップはどんどん早くなっていく。どんどん早く。どんどん早く早く・・・。
けれど、一羽のカラスがけたたましい鳴き声をあげて飛び立ち、一瞬の緊張が流れたその次の瞬間、ファーラのヒールが折れてしまった。
「ファーラ、大丈夫? 怪我はない? ごめんよ、僕のリードが悪かった」
「いいえ、大丈夫よ。フォーヴ、今夜のあなたはとても素敵。王子様ね」
ファーラはにっこりと微笑んで左足を押さえた。
彼女のその美しいベルベットの靴に、ほんの少し血がついていたのを知る者は誰もいなかった。
ファーラはその血の赤さに驚いたが、その血の意味を知ることはなかった。
―― 文・構成:安東瑠璃
